宝永4年(1707年)に発生した大地震と大洪水によって、大谷山の山腹が周囲4kmに渡って崩壊し、その土砂は1億立方メートルにも及び、日本三大崩れの一つと言われる大谷崩れを作りました。
このときに流出した土石流は下流一帯を埋めつくし、新田、赤水、大の木、大ざれなどの小高い平地を作り上げました。そして、なおも山肌を削り岩を砕いた褐色の濁流は、下流の滝を地響きをたてながら落下し、その壮観が幾日も幾日も続きました。
村人はこれを見て赤水の滝と呼ぶようになりました