杉山三次さん

~なぜ梅ヶ島で金堀りか~
 武田対上杉の時に、戦争の資金がなくなっていたんだ。その頃、落人がいっぱいいて、金を探していた所、沢から流れでてきたのが発見されたんだ。それが、梅ヶ島金山の歴史の始まりだ。武田から上杉にかわる頃に一番金がとれたそうだ。

~金で食ってく~
 俺は16歳から金掘りをやっていた。当時は16歳から大人と言われ、その歳から結婚もできたんだ。今思えば、金掘りは奴隷のようだったよ。一日中、日陰で肉体労働だから、25歳で還暦、40歳で寿命と言われていたからね。穴のネズミとも呼ばれていた。当時、日影沢には3000人の金掘りがいた。その3000人の食糧をお奉行さんからもらっていた。1かんが大体360gで、これを目標にお奉行さんに持っていくんだ。お奉行さんは、武田信玄の旗本の所へ持っていって、食糧を受け取る。それを日影沢に住む人に渡すことで、飯を食べれていたんだ。金をたくさん集めないと食糧は少ない。だから、みんな一生懸命掘ったんだよ。

~金ができるまで~
 金がつくられるのに必要な人手は、山師、金掘り、つきや、拾い手。まず、山師が金の出所を探し、見つけると金掘りが穴を掘った。チャッカマンというつるはしのような道具で掘っていく。金が入っている石がとれたら、それをついて、さらす。さらした中から金をピンセットでとっていく。それは主に女性の仕事だったよ。そして最後に金を玉のようにするんだ。

~金鉱の穴中は・・・~
 真っ暗で何も見えないから、ちょうちんを下げていったり、すすきを束ねたものに火をともして、明かりとしていた。穴は小さく、はって入る。穴は進むにつれて下に下がっていくので、奥の方は水がたまっている。子どもの時は、背が小さいから、胸の所までつかってしまって大変だった。
金の鉱脈までたどり着くまでは、全部廃土。それを出していかなきゃいけないんだけど、下に竹をしいて(竹をたくさん並べて置いて)、廃土が入った箱をすべらせて出す。そうすれば、手に持っていかなくても割りあい簡単に外に出せる。生活の知恵だな。

~杉山三次さんと梅ヶ島~
 18年前、梅ヶ島の活性化のために、黄金の里(同HP内に掲載:http://umegashima.jp/enjoy/post.html?d=24)をおこしたんだ。梅ヶ島はこれからどーしてったらいいかなぁ?これからの時代は本当に大変になっていくと思うよ。俺はもう後が長くないから、若い人でこれから考えていってほしいね。