僕が市役所に勤め始めたころ、既に2.5メートルほどの大代の人たちの手掘りで作った道がありました。その当時、住民の人から道を広くしてくれという要望も高まってきていました。そんなときにちょうど、県の土木技術者の測量実習が大代道に決まりました。僕がその時やった仕事と言えば弁当運びばっかりでね。それでも、大勢でやるもんだから、一年で測量が終わりました。
そのあと、測量をもとに僕は拡張工事の監督をして大代道の道路の拡張をしました。僕は監督だから、図面どおりに進むように指示するのが仕事でした。作業は主に掘削でしたね。当時のやり方はすごくて、ダイナマイトでボンボンとね。ほんとに足元で爆発させていました。今思うと恐ろしいよね。機械だって使えるのは小さなブルドーザーだけだったし、計算機だってないからね、対数尺で計算をしていました。コンクリートもその場で練らなきゃいけなかったし。その砂利も河原から集めていました。昔はいろんなことにたくさんの労力がかかってたんだな。
道を作るときに考えなきゃならないことは、道路によってすべての家が均一にサービスを受けられるってこと。まず第一は消防が入れることです。でも、道路を広げる時どうしてもつぶれ地(道路になる農地)ができてしまう。僕は技術者としてどうしても譲れないところがあるから、当時はとても苦労しましたね。あの頃はこんにゃくなどがとれてね。農作物が高く売れて、大きな収入源だったから、畑をつぶすのをみんな嫌がったんだ。それでも、技術者は僕一人で、あとは、地域の人が協力して測量なんかもしてね。道を作っていきました。
僕はその他にも、戸持の農道も作ったり、大代の農道の拡張もしてきました。大変な時代だったけど、僕はすごくいい時代に生まれたと思ってる。もうなくなった人が多いけど、お前の仕事のあとがいっぱいあるよって同世代の人に言われるのが誇りなんだな。